【命日に届いた免状】

【命日に届いた免状】
私は6歳から、父と一緒に道場で汗を流して育った。
父は私にとって父親であり、そして先生だった。
家では優しく笑う父だったが、一歩道場へ入ると、その表情は一変した。
「もう一回。」
「腰が高い。」
「礼節を忘れるな。」
その言葉に甘さはなかった。
私は何度も悔し涙を流した。
「どうして僕にだけ厳しいのだろう。」
幼い私は、いつもそう思っていた。
しかし、父は決して私だけを見ていたわけではない。
門下生全員の前で、自分の子どもを特別扱いしない。
それが道場の規律を守るためであり、師範としての覚悟だったのだ。
大人になって、今なら分かる。
父は、誰よりも私の可能性を信じていたのかもしれない?
だからこそ、一番厳しかった。
冬の道場は、板間でとても底冷えがした。
裸足で立つ床は氷のように冷たく、息を吐くたび息は白くなった。
夏は逆に、下から熱気が立ち上り、汗が目に入って前が見えなくなるほどだった。
道場独特の匂い。
突きや蹴りが響く音。
「エイヤー!」
という気合。
そのすべてが、私の少年時代だった。
私は、強い父の背中を追い続けて育った。
その背中は、今でも私の人生の「芯」になっている。
やがて父は骨肉腫を患った。
入退院を繰り返しながらも、
「道場はどうだ?」
「みんな頑張っているか?」
父が気にするのは、いつも自分の体ではなく道場のことだった。
亡くなる2か月前。
ようやく新しい道場(鹿屋南地区本部道場)が完成した。
父は何度も言っていた。
「早く見に行きたいな。」
しかし、その願いは叶わなかった。
令和2年6月17日。
コロナ禍で面会も十分にできないまま、父は静かに旅立った。
私は父の後を継ぎ、師範・本部長として道場を守ることになった。
正直、不安しかなかった。
父ほど強くない。
父ほど人望もない。
何度も
「本当に自分でいいのだろうか?」
そう思った。
それでも父が守り続けた道場を絶やすわけにはいかなかった。
父が育てた門下生たちと一緒に、一歩ずつ歩き続けた。
そして3年後…
私は、教士六段の昇段審査に合格した。
錬心舘総本山、宗家先生から免状をいただいた日。
何気なく合格年月日を見た私は、思わず息をのんだ。
「6月17日」
父が旅立った、その日だった。
偶然なのかもしれない…
ただの日付なのかもしれない…
私は、しばらく免状から目を離すことができなかった。
その夜、誰もいない道場へ一人で向かった。
照明を落とした静かな道場。
木の床の匂いは、子どもの頃と何一つ変わっていなかった。
私は父の写真の前に免状を置き、静かに正座をした。
「先生……。」
そう呼んだ瞬間、不思議なことが起きた。
閉め切っていたはずの道場に、ふっと風が通った。
神前のしめ縄が、小さく揺れた。
その時だった。
どこからともなく、懐かしい声が聞こえた気がした。
「まだまだだな。」
子どもの頃、何千回も聞いた父の口癖。
厳しい言葉なのに、なぜか胸が温かくなった。
私は思わず笑いながら涙を流した。
「ああ……まだまだこれからだな。」
父はもういない。
だけど、いなくなったわけではない。
子供たちとお互いに礼をし、
門下生を指導し、
道場に立つたび、
父は私の心の中で生き続けている。
あの日、命日にいただいた免状は、
たんなる昇段の証ではなく、
「これからもこの道場を頼んだぞ!」
という、父からのメッセージだったのかもしれない。
今でも私は、稽古の終わりに一礼をするとき、心の中でこうつぶやく。
「お父さん、今日も見ていてくれましたか?」
すると不思議と、あの頃と同じように背筋が伸びる。
きっと今も父は、天国から厳しい顔で見守りながら、
最後には少しだけ笑ってくれているのだと思う。








