命日に届いた免状

命日に届いた免状
私は六歳のとき、父に手を引かれ、初めて道場の門をくぐった。
それから四十年以上。
私の人生は、いつも父と道場とともにあった。
父は私にとって、父親であり、師だった。
家では笑顔で冗談を言う優しい父。
しかし、道場へ一歩入ると空気が変わる。
「もう一回。」
「腰が高い。」
「礼節を忘れるな。」
その声に情けはなかった。
何度も悔し涙を流し、
「どうして僕にだけ、こんなに厳しいんだ。」
幼い私は、何度もそう思った。
けれど父は、私だけに厳しかったのではない。
門下生全員の前で、自分の息子を特別扱いしない。
それが師範としての責任であり、道場の規律を守るという覚悟だった。
今になって思う。
父は、誰よりも私の可能性を信じていたからこそ、一番厳しかったのだ。
冬の道場は板間から冷気が伝わり、裸足の足裏が痛くなるほど冷たかった。
白い息を吐きながら何度も突きを繰り返した。
夏は逆に、床から熱気が立ち上り、汗が畳に落ちる音さえ聞こえそうだった。
道場に染みついた木の香り。
竹刀や杖が風を切る音。
そして、
「エイヤー!」
と響く気合。
そのすべてが、私の少年時代だった。
父の背中は、いつも大きかった。
追いつきたい。
認めてもらいたい。
その一心で、私は稽古を続けた。
やがて父は骨肉腫を患った。
何度も入退院を繰り返し、体は日に日に弱っていった。
それでも父が口にするのは、自分のことではなかった。
「道場はどうだ。」
「子どもたちは頑張っているか。」
病室にいても、心はいつも道場にあった。
亡くなる二か月前。
長年の夢だった鹿屋南地区本部道場が完成した。
父は何度も嬉しそうに言った。
「早く見に行きたいな。」
その言葉を聞くたび、
「退院したら、一緒に行こう。」
そう約束した。
しかし、その約束は果たせなかった。
令和二年六月十七日。
コロナ禍で十分な面会もできないまま、父は静かに旅立った。
私は父の後を継ぎ、師範、本部長として道場を守ることになった。
正直、自信などなかった。
父ほど強くない。
父ほど人望もない。
何度も心が折れそうになった。
「本当に自分でいいのだろうか。」
そう思うたびに、父の厳しい表情が浮かんだ。
だから逃げるわけにはいかなかった。
父が命をかけて守った道場だから。
父が育ててきた門下生がいるから。
私は一歩ずつ、一歩ずつ歩き続けた。
三年後。
私は教士六段の昇段審査に合格した。
錬心舘総本山で宗家先生から免状をいただき、何気なく年月日に目を落とした。
その瞬間、時間が止まった。
令和五年六月十七日。
父が旅立った日だった。
偶然なのだろう。
本当に、それだけなのだろう。
そう思おうとしても、胸が熱くなり、免状から目を離すことができなかった。
その夜。
私は誰もいない道場へ向かった。
照明を落とした静かな道場。
木の床の香りは、子どもの頃と何一つ変わっていなかった。
父の遺影の前に免状を置き、静かに正座する。
長い間、言葉が出なかった。
やがて小さくつぶやいた。
「先生……。」
父ではなく、先生。
その呼び方が、自然に口からこぼれた。
そのときだった。
閉め切っていたはずの道場に、ふっと風が通った。
神前のしめ縄が静かに揺れる。
私は思わず顔を上げた。
そして耳の奥で、懐かしい声がした気がした。
「まだまだだな。」
子どもの頃、何千回と聞いた父の口癖。
その一言で、私は笑いながら涙が止まらなくなった。
不思議だった。
褒められたわけではない。
それでも、その一言が何より嬉しかった。
「ああ……。
まだ修行は終わっていないんだな。」
そう思えた。
父はもう、この世にはいない。
けれど、いなくなったわけではない。
子どもたちと向き合うとき。
礼をするとき。
初心者に優しく声をかけるとき。
厳しく叱らなければならないとき。
ふと気づく。
その言葉も、その立ち姿も、その眼差しも、
いつの間にか父に似てきた。
人は亡くなると、思い出になるのではない。
本当に大切な人は、生き方になるのだ。
命日にいただいた免状は、
昇段を証明する一枚の紙ではなかった。
父から私への、
「これからは、お前が道場を守れ。」
という、静かな継承の証だったのかもしれない。
稽古が終わるたび、私は門下生と向かい合って礼をする。
「ありがとうございました。」
その声が静かな道場に響く。
最後に神前へ一礼すると、私は心の中でそっと語りかける。
「先生。
今日も無事に稽古が終わりました。」
返事は聞こえない。
けれど不思議と背筋が伸びる。
子どもの頃と同じように。
空を見上げると、父の厳しい顔が浮かぶ。
そして、そのあと少しだけ口元を緩めて笑う。
あの笑顔だけは、今でも昔と何ひとつ変わらない。








