全日本少林寺流空手道連盟 錬心舘 鹿屋南地区本部 鹿屋東部支部

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拳聖・喜屋武朝徳先生の武勇伝①

【HR島CO支部のパラノイア個室より引用】
http://riverbook.cocolog-nifty.com/blog/
前回に続き、喜屋武朝徳先生の話です。
私が文献などを読んでみるにつけ、以下の3点が喜屋武先生の特徴のように思われます。
●型の無修正主義
前回紹介したとおり、喜屋武先生は教わった型をいささかも手を加えることなく、後進に伝えたと言われています。喜屋武朝徳系統の流派の多くが、この事を自流派の誇りにしています。ただしRS舘の型には、Tモツ先生の解釈によるものと思われる多少の改変がみられます。
●独自の実戦(組手)技術
喜屋武先生は実戦名人でもありました。型は無修正で伝えられましたが、実戦では独自に技の研究をされました。生まれつき目が不自由で、体の小さい人でしたが、後足のかかとを十分回すことで突きの距離を伸ばしたこともそのひとつで、それはRS舘の基本の中に生きています。
●数々の逸話
喜屋武先生には、数々の武勇伝や、苦労話、生活のエピソードなどが言い伝えられています。それには超人的な伝説もあれば、人間味のある裏話もあります。
今回はそんな逸話のひとつを紹介したいと思います。
◆ 巨漢・松田との一戦
喜屋武先生は、当時の空手の大家たちに師事した後、独自の実戦技術を確立された。すばやい転身や足捌きもそのひとつであるが、先生は自宅のある読谷村と隣村との間に流れる比謝川とそこにかかる比謝橋でそれを培われた。
欄干や川べりを利用して苦行を重ね30歳の頃には、首里や那覇でも「名人キャン」の異名をとる有名人になっていた。もっともその頃は琉球処分の後で、琉球国王側近の子息であった喜屋武先生も荷馬車引きでなんとか生計をやりくりしておられた。
そんな頃、松田という巨漢がいて、体力にものをいわせて村の若者たちにしばしば横暴な振る舞いをした。
先生がある日、その非をたしなめると、松田は、「あなたは天下の空手使いだろうが、実戦は知るまい。型と実戦は違うものだという事をここで見せてもよいのだが・・・。」と挑戦してきた。先生も受けて立たざるを得なくなり、比謝川河畔で対決することになった。
河畔の広場には村の若者たちが集り、息を呑んでなりゆきを見守った。先生は川岸のへりまでさがり、軽やかな自然体で松田に対した。
松田は日頃の巻き藁突きの要領で五尺(151.5cm)足らずの先生の鳩尾(みぞおち)めがけて突っ込んできた。その一瞬、先生は目にも及ばぬ転身と同時に必殺の足刀蹴りを松田の外腿に放っていた。松田の巨体はもんどりうって比謝川に飛び込んでいった。
松田は面目を失い、以来、人が変ったように大人しくなったそうである。
「史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝」長嶺将真(松林流宗家)より抜粋・要約
転身、足刀蹴りなど、まさに我々のルーツらしき戦いぶりではないでしょうか。

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