李書文に二の打ち要らず
【李書文に二の打ち要らず】
壮年にいたると、李書文は当時の軍閥の幹部や各地の有力者に招かれて、さまざまな土地で八極拳を教えるようになった。
なかでも、河北省提督で「天下一剣」と呼ばれた、李景林将軍に請われて天津に出かけたときのエピソードはよく知られている。
「神槍李」が天津にいることを聞きつけた、ある二人の武術家が(李将軍おかかえの武術家だったという)、李書文の腕前を試そうと彼に試合を申し込んできた。
謙遜してこれを断った李書文は酒席を設けてふたりの武術家をもてなしたが、彼らは執拗に勝負をせまった。
やむをえず李書文はテーブルを片付けて向き合い、「そうぞ」と言うや、前に進んでひとりの頭を掌で一撃した。
すると、相手の男の頭は胴体にめり込み、両眼が30センチばかりも飛び出て即死した。
残るひとりにも、李書文は頭をめがけて掌で一撃した。
相手は必死にその一打をよけたが、肩に当たって肩甲骨が砕け、テーブルごと地に倒れ伏した。
李書文の絶招(実戦の奥義)は、劉雲樵によれば、「猛虎硬爬山」だったといわれる。
これは、まず最初に軽く牽制の突きを出し、次に肘を打ち込んで相手を倒す技だが、どの勝負においても、はじめの牽制で相手が倒れてしまうため、「最後の極め技のほんとうの威力は誰にもわからない」と、みずからつねづね口にしていたらしい。
ゆえに彼は、「二の打ち要らず」(はじめの一撃で勝負がついてしまうので、第二打が必要がない)とうたわれ、あまたの武術家たちから恐れおののかれたのである。