「神槍李」と恐れられた男
【「神槍李」と恐れられた男】
李書文は、近代中国の前兆となる太平天国の乱が終結した、清代、同治3年(1864年)河北省塩山県南良に生まれている。
ここはカンフーの郷、滄州に属し、八極拳のメッカである孟村や羅瞳に近い場所であり、 おそらく彼も幼少のころから、カンフーに触れる機会があったに違いない。
「滄県志」によれば、李書文はまずはじめに、地主の墓守をして暮らしていた黄四海に八極拳の手ほどきを受けたことになっている。
八極拳は、もともとは孟村の回族、 呉家を祖とするが黄四海の八極拳は漢族系(羅瞳系)の流派に属し、黄四海は六合槍で鳴らした張克明の弟子にあたる。
はじめ黄四海は、生活が貧しく体格も貧弱な李書文をみて、弟子にとることをためらったという。
しかし、いちずな李書文は毎日、地主の作男としての仕事を終えると、饅頭1個をふところに入れて片道およそ4キロの道のりを歩いて師のもとに通い、その道中にも槍やカンフーの稽古をおこたらなかった。
さらに李書文は、ひと一倍きびしい鍛錬をみずからに課し、彼が打椿(槍や拳を打ち込むこと)してまわった木のまわりには深いくぼみができ、 彼が手足を打ち震わせると踏みつけたレンガは、こなごなにくだけたという。
また李書文の槍術はひときわ抜きん出ていて、ある日、隣人にその腕前を見せてくれと頼まれると、彼は壁の前に群がるハエに眼をとめ、手に取った槍で壁に止まるハエを矢継ぎ早に刺し落とした。
その隣人は、穴のあくほど壁を見つめていたが、そこにはなんの突き跡もみつけることができなかったという。
これは、「滄県志」に記された逸話だが、「神槍李」と称された彼の神技を語る際に、しばしば引き合いに出される、よく知られたエピソードである。