型ひとつ三年
【型ひとつ三年】
昔々、中国に形意拳を学ぶ尚雲祥という人がいた。
尚雲祥は、李存義というとても有名な形意拳の先生の弟子となることができた。
彼はとても不器用だったので、一番基本の型・五行拳を覚えることが出来ずに、最初に教えられる劈拳も満足に打てないため、一番単純な動作である【崩拳】だけを教えられた。
※崩拳→縦拳の追い突きに似ている。
日々ひたすら崩拳を打つ彼を仲間たちは笑いものにしたが、尚雲祥はくじけずにひたすら崩拳を錬った。
師の李存義は、全国各地を回って指導していたので、崩拳しかできない尚雲祥は特に目にとまる事もなく3年近く放置されていた。
ある時、弟子全員が李存義の前でこれまで積んだ鍛錬の成果をお披露目するという機会があり、他の者が次々と自分の成果を見せる中、尚はただただ崩拳だけを黙々と打った。
周囲のものがその芸のなさを嘲笑う中、李存義は立ち上がり「良くぞここまで錬り上げた!」と尚を賞賛した。
彼は唯一つの技を3年間錬り上げたことにより、いくつもの技を練習していた先輩たちよりもはるかに深い実力を得ることが出来たのである。
その後、彼は李存義に次々と極意を伝授され、そのことごとくを身につけることができた。
後に、数少ない高い実力のある形意拳家の一人として名をあげ、さらには崩拳を得意技として、ほとんどの相手を崩拳の一撃で降したことから、
「半歩崩拳遍く天下を打つ」(はんぽほうけん、あまねくてんかをうつ)と称された。
“凡技は奥義であり、奥義は凡技である”ともいわれる。