方言札
- https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12327796872.html
- より引用
書籍やネット上で、たとえば「これが首里手だ」とか「これが泊手だ」とか、あるいは「武道空手とはこうである!」といった言説を目にしたとき、なにかある種の「圧迫感」を感じることはないであろうか。
こうした主張の背後には、自流派こそが正統で正しく、それ以外は異端であり間違っている、という心理が隠されているように感じる。そして、もしそうした主張から自流派の特徴がはずれていると、なにか教師から「あなたたちは間違っています」と言われて、首に「方言札」を括りつけられるような息苦しさを感じるのである。
ところで、空手(唐手)には、本来流派というものは存在しなかった。首里手、泊手、那覇手、(久米村手)というのも、あくまで大雑把な地域的分類に過ぎず、子細に見て行くと、「一人一派」というような差異があった。
例えば、泊系のパッサイでも、伊波興達のパッサイ、親泊興寛のパッサイとあり、さらに親泊のパッサイでも伝承者によって微妙に違っている。だから、「これが泊のパッサイだ」というただ一つの泊のパッサイというものは存在しない。それは、英語で言えば、「The」と「A」の冠詞の違いである。
もちろん、こうした指摘は一切のカテゴリー化の営みを否定するものではない。地域や時代における、ある大まかな「傾向性」というものは見て取ることは可能である。たとえば、パッサイにおける「背面貫手」の使用の有無から、空手の学校教育への導入の以前と以後でどう型が変化したか、ということは、以前の記事で書いたとおり考察可能である。
しかし、こうした考察は型の時代変遷を明らかにはするが、「優劣」を明らかにはしないのである。たとえば、貫手の使用がすぐれているか、正拳の使用がすぐれているかは、実戦が目的なのか学校での教育が目的なのか、選択する遠近法(パースペクティヴ)によって評価が異なってくる。
また、より子細に見れば、実戦の状況も時代によって変化する。たとえば、北谷屋良公相君の「髷隠し」の例は、髪型や衣裳などの変化によって、要求される実戦技法とそれへの対処法が異なってくることを明らかにしている。
さて、戦前、沖縄では方言が弾圧されたが、最近では「しまくとぅば(島言葉、琉球方言)」をもっと使いましょうと、沖縄県が普及活動をするようになっている。
空手の動向もある意味で、同じような道をたどり、またたどりつつあるのではないであろうか。「空手の近代化」が、個別性を塗りつぶして普遍化していく運動であったとすれば、これからはもっと個別性を大切にして、歴史的に意義のある型や技法は、無形文化財として保存していくような視座が必要ではないであろうか。これは伝統空手にかぎらず、古武道全般にも言えることである。