資料:空手の思い出⑪
少林寺流空手道錬心舘と深いかかわりを持つ空手道中興の祖・喜屋武朝徳先生。
先生が、「空手の思い出」と題して、空手道について私見を述べられた記事を順次紹介させていただきたいと思います。
http://www.shidoukan.com/kyan/post_21.html
より引用
1942(昭和17)年5月、拳聖喜屋武朝徳著「空手の思い出」、空手道師範喜屋武(きゃん)朝徳(ちょうとく)氏(73)は今年古希月下。
中頭郡読谷山(ゆんたんざ)村比謝河畔に悠々自適の生涯を過し、県立農林校空手教師、五尺に足らざる小体で夙(つと)に喜屋武ミー小の異名をとり尚壮者をしのぐ矍鑠(かくしゃく)として生きた空手の歴史。
■結び■
七十三歳の壽(とし)を重ね何等(なんら)世の為めになしたる事なく、厚がましくも拙文を公開し空手道の感想を思い出さしめたるは、支那事変(しなじへん)から大東亜戦争に展開し皇軍将兵は空に、海に神鬼出没、五体の大きい白人を蹴散(しゅうさん)する。
戦果は御稜威(りょうい)の基、良く我が将兵が武士道の奥義を發揚(はつよう)せし賜(たまわ)らんと思へば枯れ木の老人も火鉢を側にして安閑(あんかん)としては余生を貪(むさぼ)るに忍びないのであります。