資料:空手の思い出⑨
少林寺流空手道錬心舘と深いかかわりを持つ空手道中興の祖・喜屋武朝徳先生。
先生が、「空手の思い出」と題して、空手道について私見を述べられた記事を順次紹介させていただきたいと思います。
http://www.shidoukan.com/kyan/post_21.html
より引用
1942(昭和17)年5月、拳聖喜屋武朝徳著「空手の思い出」、空手道師範喜屋武(きゃん)朝徳(ちょうとく)氏(73)は今年古希月下。
中頭郡読谷山(ゆんたんざ)村比謝河畔に悠々自適の生涯を過し、県立農林校空手教師、五尺に足らざる小体で夙(つと)に喜屋武ミー小の異名をとり尚壮者をしのぐ矍鑠(かくしゃく)として生きた空手の歴史。
■修行者の年齢及び体格■
世間には往々空手修行者は少し激烈に過ぎて身体の薄弱(はくじゃく)な者や老人や少年等に適しない様に思っておるものがありますがそれは大なる謬見(びゅうけん)であります。
空手には其等(それら)の人々の体格年齢等に適合した教授法があります。年の老幼、体の強弱を問はず何人でも修行する事が出來るのです。そして適当の教授法に拠(よ)って相当の年月の間修行すれば老年のものは益々強健になり少年又は虚弱(きょじゃく)のものは身体の發育を促すのみならず技が巧妙になれば体格の小さい者、力の少ない者でも自分の欠点を補(おぎな)ひ得る事が出來て優者になり得るも又当然であります。殊(こと)に少年の時に充分鍛練して居れば年齢が長じて身体が發育するに従って自然に技も巧妙(こうみょう)になるものです。
少年の内身体を鍛練し各部を自在に働かせて、朝夕修行鍛練し、武の道を悟る事が出來れば強者を恐れず弱者を侮らず虚心(きょしん)平気(へいき)で心をはなさず相手の挙動(きょどう)に随(したが)って機(き)に臨(のぞ)み変(へん)に応(おう)じて電光石火の活動を演じ機敏大胆に且つ歩することが出來(でき)ます。