資料:空手の思い出③
少林寺流空手道錬心舘と深いかかわりを持つ空手道中興の祖・喜屋武朝徳先生。
先生が、「空手の思い出」と題して、空手道について私見を述べられた記事を順次紹介させていただきたいと思います。
http://www.shidoukan.com/kyan/post_21.html
より引用
1942(昭和17)年5月、拳聖喜屋武朝徳著「空手の思い出」、空手道師範喜屋武(きゃん)朝徳(ちょうとく)氏(73)は今年古希月下。
中頭郡読谷山(ゆんたんざ)村比謝河畔に悠々自適の生涯を過し、県立農林校空手教師、五尺に足らざる小体で夙(つと)に喜屋武ミー小の異名をとり尚壮者をしのぐ矍鑠(かくしゃく)として生きた空手の歴史。
■空手の目的■
空手の目的は身体の發育(はついく)、勝負術(しょうぶじゅつ)の熟達、克己(こっき)の練磨この三つであります。普通の体操や体育法には手足を動かずに攻防の意味が含まれて居りませんから従って興味(きょうみ)もなければ相手に勝つといふ信念が得られない。空手の鍛練法(たんれんほう)では身体の發育(はついく)を主とする外に筋骨を動かすには一々勝負の意味が含まれて居(お)ります。即ち如何(いか)にして相手を倒し、如何にして相手の攻撃を避け得るかとの勝負の理念に依って姿勢を作り身体の健全を保ち器官(きかん)の發育(はついく)を旺盛(おうせい)にならしむるのであります。
勝負といふ事を全く離れて機械的に運動するのではありません。それ故(ゆえ)に興味も深く精神の活動も盛んにして兼ねて智徳(ちとく)の增進(ぞうしん)を助けるのです。適当の教授法で修錬すれば筋骨各所の發育(はついく)が均整を取れ、殆んど理想的な體形(たいけい)が出來ます。空手で身体を練ったものは身の運びが自在でありますから往々身に懸(か)かる不意の危険を避けることが自然に出來(でき)ます。