錬心舘の演武・約束組手考
先日、某先生との武道談義…。
空手には、大別して型と自由組手があります。
その中間に位置するのが、約束組手です。
某空手流派の大先生の中には、型不要論を唱える方々もいらっしゃいますが、我が少林寺流空手道錬心舘は、道統としての「型」を大切に守っています。
「型」の中で、攻撃側と捌き側が、互いの“気”を合わせながら行うのが演武(約束組手)です。
捌き手(高段者)が、急迫不正の暴力を敢然と正義の拳で制圧するという華やかな“武術”としての空手道が演武の注目されるところであります。
複雑化・多様化する現代社会において、護身術を学ぶことは武道人としての欠くべからざるたしなみといえるでしょう。
また一方で、捌き手の脇役である攻撃側にも“武道”としての学ぶべき側面があることを忘れてはならないと思います。
すなわち、関節をキメられ、突かれ、蹴られ、投げられる攻撃側の後輩たち…
詩人の相田みつを氏は、次のように述べています。
~負ける練習(受け身・負ける練習)~
「武道の基本は受け身…、受け身とはころぶ練習…、負ける練習…、人の前にぶざまに恥をさらす稽古…、受け身が身につけば達人、負けることの尊さがわかるから…」(相田みつを「一生感動一生青春」p70.1990)
流儀を守る、そして型を守るということは、「術」としての空手もさることながら、術から「理」としての空手へ、そして「道」へと繋ぐ、人間形成の「容(かた)」を完成させる術なのではないかと勉強させていただきました。
日々、精進です。