全日本少林寺流空手道連盟 錬心舘 鹿屋南地区本部 鹿屋東部支部

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小説「公相君」②

http://blogs.yahoo.co.jp/alphabethankakueisuji/folder/1182953.html

より引用

 

【正冊封使・全魁は満州人と”断定”されています。大島筆記に書かれた公相君は正冊封使・全魁であり、組合術とは内モンゴル相撲であると”類推”されます。これは、それを元に類推したフィクションです。】

 

全魁は怒っていた。

 

「お相手いたしましょう」

 

甚だ痩せて如何にも弱々しく、

あつらえたはずの麟蟒服が大きくすら見えるこの全魁の前に、

 

福建南拳の功夫で養われた体であろうか、

大柄な陳國棟がそう言って立ちふさがる。

 

他の兵丁たちも嘲笑を浮かべている。

 

琉球の士族たちは心配そうにことの成り行きを見ている。

 

「なにごとだ?」

 

「正使さまが武の資質をお見せになると仰っているのですが、

あの痩せたお身体で大丈夫でしょうか」

 

「武の資質? はぁー、またもや面倒なことを」

 

「またもやとおっしゃいますと?」

 

「清と同じ呼び名の魚がいるのなら観てみたいものだといって、

一日中、通事と海士が探すのに大変苦労していたのだ」

 

「高貴なお方は、その一言で振り回されるこちらの身など考えぬのでありましょう。

そのように思慮に欠けるお方では、武の資質どころか文の資質すらあやしい」

 

「ん?それはどういうことだ」

 

「こちらから書を求めても

隣にいる従客に御自身の詩を書かせるだけで、

正使さま自らお書きになる姿を見たことがございません」

 

「板に刻まれた正使さまの詩を見たが、

明の七才子ように如何にも進士らしいものではあったがのう」

 

「それとて本当に正使さまが詠んだのかあやしいものです。

あの従客は詩の世界では名が通っているようですから」

 

事務方として随行したこの従客は、

のちに探花という好成績で科挙に合格する王文治である。

彼は詩歌や書の才能があり、若くして天才の名を欲しいままにしていた。

その噂を聞き、この琉球の士族は全魁に対して疑念を持っていたのである。

 

しかし全魁とて乾隆16年の科挙に合格した満州族出身の進士である。

 

出題範囲の広い科挙制度では、

四書五経やその他の膨大な古典を諳んじれるほどの知識が必要で、

試験では詔勅の原案作成などの他に詩作も行なわれる。

 

現在では皇帝の詔勅を起草する翰林院で侍講を務めている全魁。

当然、詩や書についての教養もある。

 

しかし、書や詩を求められる機会も多く、

正冊封使である全魁ひとりでは対応しきれない。

 

いきおい王文治の代筆が増えていったのだ。

 

それに、魚の一件も全魁に非はなかったが、

過剰に反応した琉球の役人達の反感を受ける原因となってしまった。

 

「しかし、そんな小さな面倒ごとだけなら可愛げもあるが……」

 

「ほかにも何かございますのでしょうか?」

 

実は、全魁が率いた冊封使団は、久米島沖で座礁事故を起こしていた。

 

一号船に乗った全魁と副冊封使の周煌、その従客や乗組員たちも助け出されたが、

二号船は二人の死者を出し、船体修理のために福建に戻っていた。

 

祭礼に必要な詔勅や国王印は無事であったが、

その他の貨物や衣服は水に浸かり漂失し、

ひそかに商売をしようとしていた者たちの荷物も流され大打撃を負ったのである。

 

琉球側は見舞金として銀五千両を送り、

福建で雇った兵丁や水手、匠作たち136人に均しく分け、各々銀36両7銭を得たが、

兵丁たちはなお欲を満たさずにいた。

 

それは前回の冊封団に随往した兵丁たちが、

各々銀128両を贈られたという噂を聞いたためだった。

 

この噂を聞いた管隊の陳國棟は、

見舞金の更なる上乗せを要求してきたが、さすがに全魁と周煌はこれを拒否。

 

要求が受け入れられないと見るや

勝手に無記名の公文まで作って琉球王府に送り、

これに荷担しなかった者は殺すと脅して、

滞在先の天使館で備品を壊すという騒動を起こしたのである。

 

これは、すべてを統括する正冊封使・全魁を飛び越えた越権行為。

 

この事件によって当然、

琉球王府側にも冊封団の内紛が伝わっていたはずであるが、

それは全魁が掌握すべきこと。

 

琉球王府は経過を見守るしかなかったが、

冊封の儀礼を滞りなく終えなければならない全魁は何も出来ずにいた。

 

それをいいことに陳國棟たちは増長し始めた。

昔の冊封使の名が付いた拳法の形が琉球に存在することを聞き及び、

 

「そうやって麟蟒服をお召しになるのも、

私ども兵丁に鎗や戈を持たせて祭礼で行列を為すのも、朝廷の武の資質を示す意。

我らを統率する公相の君が文武の資質を持ち合わせずに務められましょうか。

私どもに武の質を見せられぬのならば諭祭の礼に参加はできかねます」

 

そう言って大切な祭礼を妨害しようというのだ。

 

公相とは、元々は三公と呼ばれる太師・太傳・太保の簡称で、

冊封使は、正使、副使ともに公相と同様の正一品という位を与えられて渡琉する。

 

これは付庸国であっても相手国の天子に失礼にならぬよう、

偉い人間が遣わされたという体裁をとるだけで

侍講である全魁はもともと文官に過ぎない。

 

歴史的には官吏の長を尊称して

公相と言う言葉が用いられることもあったが、

兵丁たちが全魁をそう呼ぶのには多分に揶揄が含まれていた。

 

副冊封使の周煌もその様子を傍観している。

周煌は漢族出身の進士。

清朝は満州族が打ち立てた国。

結果的に被支配層となった漢族との間で

微妙な力関係が出来上がっていて助ける様子もない。

 

さすがの王文治もハラハラするばかり。

 

「公相の君、如何なさいます」冷笑を浮かべる大きな陳國棟。

 

全魁は持っていた笏を王文治に渡すと、

おもろむに陳國棟の袖を掴んで引き付ける。

 

陳はグッと力を入れ、

ビクともしないように見えた次の瞬間、

引き寄せた袖を真横に振り、地を掃くように陳の足を蹴り上げる全魁。

 

「あっ」

 

砂煙を舞い上げて陳の大きな身体はフワリと宙を舞い、

ドスンと地面にたたきつけられる。

 

舞い上がった砂煙から顔を背ける他の兵丁たち。

 

自分に何が起こったのかが飲み込めていない陳國棟。

 

さらに全魁は、陳の両腕を捕って立ち上がらせ、

そのまま背負うようにしながら足を蹴り払って軽々と投げ捨てる。

 

それに驚く琉球の士族たち。

 

「あ…あれは相撲でありましょうか?」

 

「いや、跌打のたぐいであろう」

 

「跌打?」

 

「本唐の宴では2つの角力が行なわれる。

我が国と同じ通りに相撲があり、

帯を四つに組んだまま両肩を地につけることで勝敗を決するが、

あれは、袖や襟を組み合って投げる術。

ああやって跌かせることで勝負が決まる。

円明園の山高水長殿で善撲營と外藩国の蒙古族との角力を見たことはあるが、

……正使さまがその使い手だったとは」

 

康煕帝や乾隆帝の御代は特に角力が盛んだった。

 

秋獮(秋の狩り)で避暑山荘に行った際や、

竈祭の日、正月初十九日には円明園の山高水長殿などで、

布庫(ブフ)と呼ばれた満州族の角力(摔跤)と、

厄魯特(オイラト)と呼ばれた外藩蒙古族の角力が行なわれていた。

 

全魁の出身地である満州(内蒙古)では、

殺生を慎むラマ僧ですら遊びとして興じるほどである。

 

科挙の勉強ばかりをして弱々しいなりをしていると侮っていたが、

全魁が子供の頃からそれに慣れ親しんでいたとしても不思議ではない。

 

しかし、陳國棟もだまって投げられてはいなかった。

 

全魁の首に腕を回し、頭を引きつけ、膝で腹を蹴り上げようとした。

 

その瞬間、陳國棟の帯を掴んだ全魁は自分の体を寄せて、

逆に陳の股の間に自分の右膝を差し入れ、櫓に載せるかのように高々と吊り上げて、

くるっと反転して、わざと体を浴びせるように投げた。

 

「あれは、にじりぬし(右載せ)!琉球の角力にもある技だ」

 

鳩尾に全魁の体重が乗り、息が詰まり悶絶する陳國棟。

 

仮にも正冊封使である自分を蹴り上げようとしたこの兵丁に、

全魁の怒りは頂点に達していた。

 

怒りの収まらぬ全魁は、

この礼節を知らぬ兵丁の両襟を掴んで首を締め上げる。

 

絞め技のない布庫ではあるが、前腕で喉を押し上げて相手の重心を浮かせる技が存在する。

 

「ぐぐぐぅ……」

 

陳は息が出来ず仰け反ってつま先立ちになる。

 

その脚を左右共に思いっきり蹴り上げて投げ飛ばす全魁。

 

「さても足をよく効かす術なり!」

 

一般に「三年拳不抵一年跤(拳法の3年は摔跤の1年には敵わない)」と言われ、

形稽古や外功を繰り返すだけの拳法を学んだだけでは、

試合に終始する摔跤に敵うものではない。

 

痩せて弱々しい正使が大きな兵丁を投げ飛ばす姿を見た琉球の士族たちは、

その見事さに目が行くだけであったが、

 

兵丁へ今までの不満をぶつけているのは、冊封使団の誰の目から見ても明らかだった。

 

陳はゲホゲホとむせているが、

全魁はかまわず首根っこを押えて左へ右へと引きずり回す。

 

陳は砂まみれ。

 

「しかし、しじとーさ(度が過ぎてる)……」

 

そのあまりの激しさに、琉球の士族たちも異変に気付き始める。

 

このままでは不味いと思った王文治は周煌に助けを求めるが素っ気ない。

 

一計を案じた王文治は、

 

「正使さまは馬も得意でございます!」

 

と言って馬を用意させた。

 

坂道と石ばかりの首里城の周りを

 

油断することなく馬に乗る全魁の姿を知っていたのだ。

 

しかし、急なことで用意されたのは裸馬。

 

それを見て焦った王文治だったが、

 

内蒙古の草原を馬に乗って走り回っていた全魁にとってはお手の物。

 

たてがみを掴んで、ひょいと飛び乗り、乗りこなして見せた。

 

それがどんなにむずかしいことかを知る士族達は感嘆の声を漏らす。

 

若い琉球の士族たちにとっては、詩歌や書よりも、全魁の投げ技や馬術が魅力的なもの。

 

全魁に弟子入りを求める者も出てきたほどだ。

 

胸をなで下ろした王文治が兵丁たちに目をやると、彼らは、苦虫をかみ潰したような顔をしていた。

 

その夜、独りになった全魁は、手で輪っかを作り、間から月夜を仰ぎ観て、溜息をついていた。

 

「よくよく考えれば、怒りの矛先が自分に向くのも当然だろう。

この渡琉で嵐に遭い、冊封使団を漂流という危険に晒した責任は自分にある。

仕方あるまい……」

 

そこへ周煌がやってきた。

 

「全魁殿、琉球王府が見舞金を上乗せすると言ってきたぞ」

 

「しかし、その兵丁の要求は、共に拒否したはずではありませぬか」

 

「おぬしの怒りを気遣ってのことであろう」

 

「なんという……またしても琉球に過剰な反応させてしまった……断ってきます」

 

「それはならん。ここまでこじれてしまっては兵丁水夫たちもおぬしの言うことは聞かん。

これで祭礼を滞らせたら、外交の失敗を意味するぞ」

 

「しかし……」

 

「それに、この話が都にバレれば、我等とて、ただでは済まぬ。だまって受け取るしかないのだ」

 

「不覚なり……」

 

一方、怒りが収まらない兵丁たちは、遊郭で暴れたり、絹の売買で揉め事を起こし続けましたが、

 

祭礼が行なわれたことから考えれば、最終的には、全魁に従ったのでしょう。

 

しかし、帰国後、一連の事件は発覚します。

 

事態を重く見た朝廷は、陳國棟らを断罪して斬首刑に処します。

 

そして、全魁は政治の中枢から離れることとなり、国子監の祭酒という学長職に追いやられますが、

 

そこで、琉球の士族で、のちに琉球の国師となる蔡世昌や鄭考徳と友誼を結び、

 

沖縄の文化に大きな影響を与えますが、それはまた別の話…。

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