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資料:からむとう

【からむとう】

 

https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12331231091.html

より引用

 

最近、手ツクミの記事を書いていたが、では「からむとう」との関係はどうなんだろう、という疑問がTwitterで出ていたので、少し考察してみたい。

 

からむとうは、「阿嘉直識遺言書」(前編1778、後編1783)に出てくる言葉である。この遺言書は、2回に渡って書かれ、前編では「直識阿嘉親雲上」の署名、後編では「大田親雲上」の署名が書かれている。家名が変わったのは転封したからである。大田は具志川間切大田村(現・うるま市大田)に由来する。

 

からむとうは前編の1778年の箇所に書かれている。

 

(原文)

示現流の儀、御当地にては、何ぞの御用にも相立たず候へ共、先祖より武芸の家にて、且は士の家に生まれ、自分に差当たりこれはの時、または平日気持心持怠らざるはげみに相成候間、手足身を痛めざる様に、余力の時分に稽古いたすべく候。根本の稽古方の障にならざる様に、忍び々々に稽古これあるべく候。からむとう・やはらなどは稽古に及ばず候。示現流の儀、少々稽古いたし候とて、傍輩衆へ相交り、言あらそひ打合などいたし、かへつて身をほろぼし、大なる傷を求め、何分後悔いたし候とも益なく甚以て不孝の至りに候間、能々其慎をもって稽古の嗜いたすべく候。

 

(現代語訳)

示現流のことについては、ここ琉球では、何のお役にも立たないけれども、我が家は先祖より武芸を尊んできた家柄であり、またおまえは士(さむらい)の家に生まれたのであるから、いざという時に役に立つように、また平常自分の気持ちが無気力・怠惰にならないための励みにもなるので、手足や体を痛めない程度に、余裕のあるときに稽古に励みなさい。稽古は、(学問、書道などの)もっと大切な稽古の支障にならないように、少しずつ無理をしないように稽古しなさい。また、“からむとう”や柔術などの武術は稽古するには及びません。示現流は、少しばかり稽古したからといって、同年配の仲間たちと言い争ったり打ち合ったりすれば、かえって自分の身をほろぼし、大きな傷を受け、後になって後悔しても何の利益もなく、甚だ親不孝の至りであるから、よくよく慎みの心をもって稽古の心得としなさい。

 

上記引用文には、からむとう以外にも示現流や「やはら(柔術)」への言及もある。琉球武術史研究の史料としては、第一級のものと言っていいであろう。

 

さて、からむとうは何であるかという問題である。柔術と並置され、かつ示現流のような剣術に比べれば、稽古しなくてもよいと述べられているので、武器を使わない素手の武術で、かつ日本由来の柔術とは別系統の、――たとえば中国由来の素手武術ではないかと筆者は解釈した。つまり、空手の源流武術である、と以前解釈した。

 

からむとうの「から」は唐(から)、すなわち中国の意味と解釈していいであろう。昔、首里城正殿のことを「唐玻豊、唐破風(カラファーフ)」と呼んだ。正殿正面にある唐破風の屋根から来た言い方である。では、むとうは何であろう。

 

空手ではなく、戦前、沖縄には「ムートウ」と呼ばれた相撲があったことから、中国から伝来した相撲ではないかとする解釈もある。長嶺将真先生の本にムートウの記述がある。たしかに相撲説も一理あるが、いくつかの点でこの解釈には問題がある。

 

まず、阿嘉直識は那覇士族であったが、那覇ではムートウという言い方はしなかったのである。那覇では「手組(てぐみ)」という言い方をした。

 

この競技(角力)を那覇では「手組(てぐみ)」といい、泊首里方面では「ムートウ」と称していた。(注)

 

それゆえ、那覇士族の阿嘉直識が相撲について書くなら、手組と書くのが自然である。もちろん18世紀の方言分布は大正時代と同じだったのか、という問題もあるので一概には言えないが。

 

もう一つは、中国から相撲が沖縄に伝わったという記録がないことである。たしかに中国にはシュアイジャオ(摔跤、摔角)があるが、ムートウとは音韻的に似ていない。

 

戸部良煕『大島筆記』(1762)には、沖縄の相撲についての記述があるが、そこには、

 

一 相撲日本ノ通ニアル也

現代語訳:

一 相撲は日本(の相撲)と同じようにある。

と書かれている。現代の沖縄相撲のルールは本土のそれとは同じではないが、18世紀中頃には日本の相撲と同じだったということである。それゆえ、沖縄の相撲の起源を沖縄以外に求めるならば、中国ではなくむしろ日本から伝来したと解釈するのが妥当であろう。

 

からむとうと手ツクミの関係も分からないが、文献からは手ツクミの出現が古い。いずれにしろ、重要なことは18世紀の琉球には、手ツクミ、やはら、からむとうなど、起源の異なる複数の武術が存在していたという事実である。それゆえ、空手の起源もどれか一つに求めるのではなく、これらの相互融合や影響を考える必要がある、と筆者はいま考えている。

 

注 長嶺将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社、1986年、183頁。

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