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資料:瓦割の起源

https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12315594230.html

より引用

 

『瓦割の起源』

 

昨日、ドイツの空手家、アンドレアス・クヴァスト先生が2年前に書いた「手ツクミ、テーツクン、ティージクン」の記事を英訳してくださったのでアップロードしたが、その際、久しぶりに当該記事を読んで気づくことがあった。

 

その記事では、肥後(現・熊本)の某藩士が書いた紀行文「薩遊紀行」(1801年)を紹介したのであるが、その中に「瓦割り」についての記述がある。

 

「琉球、剣術、ヤハラノ稽古ハ手ヌルキモノナリ、唯突手ニ妙ヲ得タリト云、其仕形ハ拳ヲ持テ何ニテモ突破リ、或ハ突殺ス、名ツケテ手ツクミト云

右ノ手ツクミノ術ヲ為スモノヲ(薩ヨリナパツメノ)奉行所ヘ召テ瓦七枚重ネ突セラレシニ、六枚迄ハ突砕シヨシ、人ノ顔ナトヲ突ケハ切タル如クニソゲル、上手ニナレハ指ヲ伸シテ突ヨシ」

 

現代語訳:

琉球の剣術、ヤワラの稽古は手ぬるいものである。ただ突き手に妙を得たりと云う。その仕方は拳をもって何にでも突き破り、あるいは突き殺すのである。名付けて「手ツクミ」と云う。

 

右に述べた「手ツクミの術」を行う者を、薩摩より派遣された那覇(ナパ)詰めの奉行所に召して、瓦7枚を重ねたものを突かせたところ、6枚までは突き砕いたそうである。人の顔などを突けば切ったようにそげる。上手な者になれば指を伸ばして突くそうである。

 

引用文は、作者が肥後から薩摩へ旅行に行った際、現地で聞いた琉球の話である。当時、那覇には薩摩の在番奉行所があって、薩摩から派遣された役人が20名ほど勤務していた。

 

その在番奉行所に「手ツクミ」の使い手を呼び寄せて、瓦7枚を重ねたものを突かせたところ、6枚までは割ったというのである。

 

この手ツクミの使い手は誰であったのであろうか? 上記の紀行文が書かれたのは1801年で、この瓦割りが那覇で行われたのはそれより前であるから、18世紀末くらいの出来事だったかもしれない。

 

ちょうどその頃、唐手佐久川が頭角を現しつつあった頃だが、佐久川はあくまで新進気鋭の「唐手(とうで)」の使い手として脚光を浴びていたわけで、この手ツクミの使い手として有名であったわけではない。

 

もちろん、手ツクミと唐手の間にどのような差異があったのかは不明である。筆者は手ツクミはティージクン(ティーの別称)の語源であろうと推測したから、佐久川が輸入した唐手よりは古い素手格闘技ではないかと思うが……。

 

いずれにしろ、当時すでに瓦割りが行われていたのは事実なわけで、そうすると瓦割りの起源は18世紀末から19世紀初頭までさかのぼることができるわけである。

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